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PHILOSOPHY
生命の哲学

生命の哲学に関心のある方々へ

スピノザの細胞たち

17世紀のオランダの哲学者スピノザは、主著「エチカ」のなかで次のように述べています。
  • 人間身体は、本性を異にするきわめて多くの個体――そのおのおのがまたきわめて複雑な組織の――から組織されている。
  • 人間身体を組織するもののうち、あるものは流動的であり、あるものは軟らかく、最後にあるものは硬い。
  • 人間身体を組織する個体、したがってまた人間身体自身は、外部の物体からきわめて多様の仕方で刺激される。
  • 人間身体は 自らを維持するためきわめて多くの他の物体を要し、これらの物体からいわば絶えず更生される。
「エチカ」第2部 精神の本性および起源について 畠中尚志訳
これは現代科学の眼でみても間違いのない人間身体の叙述と思われます。2でいう流動的なものとは血液や胆汁などを指しており、軟らかいというのは筋肉や内臓、そして硬いのは勿論、骨のことに違いありません。4で述べているのは現代の言葉で新陳代謝です。
しかし私たちがもっとも驚かされるのは1です。そこでいう、人間身体を構成するきわめて小さい、しかもきわめて複雑な組織をもった個体とは何でしょう か。現代の私たちはすぐ「細胞」と思いつきます。しかし17世紀のスピノザは本当に「細胞」を知っていたのでしょうか。

年表をたどってみると、スピノザ(1632~1677)の「エチカ」は当時の宗教的権威によって危険思想とみなされていたため、公表 されることなく、出版されたのは死後のことでした。しかし、主要な内容は1665年にはほぼ完成していた、とされます。一方、「細胞」が生物学史に登場す るのも1665年でした。顕微鏡の改良につとめていたイギリスのロバート・フック(1635~1703)がコルクの小片を観察して、そこに無数の小室をみ とめ、セルcellとよんだのが「細胞」のはじまりです。細胞の殻が見えたのであって、もちろん細胞質は見ていません。生きた細胞ではなかったのですか ら、これが生命の基本単位であると読むことはできませんでした。ですからロバート・フックのcellから、スピノザが「細胞」の概念を得たとは思われませ ん。だがここにもうひとり、顕微鏡にまつわる重要人物がいます。レウエンフークです。
レウエンフーク(1632~1723)はオランダ、デルフトの呉服商で、科学の教育など受けたことのない商人でした。彼はレンズ磨き を趣味にして顕微鏡を自作し、これで原生動物や細菌の存在を発見しました。赤血球、精虫もレウエンフークの発見です。細菌を病気と関係づけることはしていません。
このレウエンフークとスピノザを並べてみると、奇妙に重なる共通項があるのに気がつきます。まず二人は同じ1632年におなじオランダで生まれていま す。そしてスピノザはいまでこそ偉大な哲学者とされていますが、当時はひとりの賢い商人にすぎませんでした。商人である点はレウエンフークと同じです。そ してまたスピノザが後半生を過ごした土地(デンハーグ近郊のフォールブルフ)はレウエンフークのいた街(デルフト)のごく近くです。それだけではなく、ス ピノザの伝記によれば、彼は家業の商売をやめたあと、レンズ磨きで収入を得ていたのです。レウエンフークがレンズ磨きであったように、スピノザも同じレン ズ磨きでした。私たちは、この二人が同じ作業台の上でレンズを磨いたり、いっしょに顕微鏡を覗いたりしている光景を想像することができます。レウエンフー クが次々に見つける微生物を、スピノザが一つずつ読み解く様子も思い浮かびます。

このようにして好奇心に満ちたレウエンフークの顕微鏡が「人間身体」に向けられるのに不思議はありません。彼が精虫を発見したとき、 おそらくそれは液体の中を泳ぎまわっていたでしょう。レウエンフークはどれほど驚いたことか。その驚きは「人間身体」の古い概念を突き崩したに違いありあ ません。「人間身体は、本性を異にするきわめて多くの個体――そのおのおのがまたきわめて複雑な組織の――から組織されている。」というスピノザの言葉 に、レウエンフークこそ深く頷いたのではないでしょうか。
スピノザとレウエンフークが肩を寄せ合って顕微鏡をのぞく、という図柄を一枚のカンバスに入れるのは、私たちの想像でしかありませ ん。しかしレンズを磨くという共通性に眼をとめるなら、この想像もあながち無根拠とはいえなくなります。レンズというものは常識が見過ごしている以上に恐 ろしい働きをしている、と私たちは考えます。

レウエンフークよりすこし前、イタリアのガリレオ(1564~1642)は自作の望遠鏡を天空に向けました。天空に望遠鏡を向けたのはガリレオが最初とさ れます。彼が見たのは月面の火山、木星の衛星、銀河の星たちでした。しかしいまから考えれば、彼が見たもっとも重大な事実は、天体のあれこれではなく、天 空には神がいないということでした。神の宮居といわれていたあたり、どこに望遠鏡をむけても神の姿はなかったのです。こうして彼はコペルニクスの地動説を 確信したのでした。

これと同じことがレウエンフークの顕微鏡についておこりました。顕微鏡が「人間身体」に向けられたとき分かったことは、人間と動物に境 界線がない、ということでした。望遠鏡が神と人間の境界線を消してしまったように、顕微鏡は人間と動物の境を取り払いました。それまで信じられていた差別 的階層が消えて、すべてものもが同じ一つの地平におかれたのです。
スピノザがレンズを磨いて覗きこんだのは、このような境地ではなかったでしょうか。スピノザはこの境地を「自然」という言葉で捉えなおし、なおかつそれを 存在させる根拠として、あらためて「神」を呼び戻したように思われます。「神」は星空のなかにではなく、「自然」の存在理由として「自然」のなかに遍在し ます。そしてこの「自然」の一隅に人間の座をつくり、人間を幸せに住まわせようという努力が「エチカ」になりました。

「人間身体は、本性を異にするきわめて多くの個体――そのおのおのがまたきわめて複雑な組織の――から組織されている。」というスピ ノザの言葉は、「人間社会は、本性を異にするきわめて多くの人間から組織される――」というふうに読みかえることができます。そして、この比喩が人間社会 のありかたについて豊かな示唆をあたえてくれることも、直感的に理解できます。
しかし、歴史をふりかえれば、全体主義のイデオロギーもしばしばこれに類した比喩を利用しました。そこでは、個々の細胞は身体を構成するためにあり、そ の役割を果たす限りにおいて存在する意義があるのだ、と叫ばれていました。だがこの論理が通用するのは、それこそ個々の細胞を個性のない均一な群集とみる 限りにおいてです。スピノザが「本性を異にする」と強調したように、個々の細胞の個性に眼をとめ、それが「人間身体」のなかで巧みに共存している姿を見れ ば、全体主義のイデオロギーとは違う、個人と社会の関係があるはずだ、と思われてきます。
私たちヨネ・プロダクションは、これまでに多くの細胞を観察し、映像として記録してきました。「人間身体」を構成するする細胞は、ス ピノザの言うとおり、あるものは流動的、あるものは軟らかく、またあるものは硬い骨となります。かれらのクローズアップを見れば、誰もがその豊かな個性に 驚くでしょう。心臓の細胞、脳の細胞、骨の細胞、免疫の細胞、本当にかれらは千差万別であり、しかも互いに不可欠な関係のなかで、みな生き生きと動いてい ます。

この細胞たちの動きは顕微鏡を覗くだけでは捉えられません。精虫は例外中の例外です。ほとんどの細胞は、微速度撮影という時間圧縮技 術を用いなければ、生き生きと動く姿をみせてくれません。微速度撮影は原理的にはヴェーゲナーの大陸移動説(1920)さえ目の前に見せてくれる技術で す。見る見るうちに大きな大陸が割れて、アフリカとアメリカができていくでしょう。映画が発明した表現のなかでも、微速度撮影は抜群といえます。時間の進 行を遅くしたり早くしたりする技術がほかにあるでしょうか。全能の神が嫉妬する技術です。
私たちヨネ・プロダクションは顕微鏡と微速度撮影の組み合わせによって捉えた、生き生きと動く細胞たちの映像を、「スピノザの細胞た ち」と呼びます。私たちはこれを世界中の人々に見てもらいたいと思います。国家間の紛争に傷つく人々に。民族間紛争にまきこまれる人々に。人種差別に苦し む人々に。あるいはこれらの苦痛に気づいていない人々に。あるいはこれらの紛争や差別をこえて手を結ぼうとしている人々に。「スピノザの細胞たち」といっしょに21世紀の世界を考えたいと思います。

大沼 鐵郎 (オオヌマ テツロウ)

1928年生まれ。1951年、東京大学卒業。科学ジャーナリスト。映像作家。記録映画、科学映画の製作及び著作多数。主な映画に『ミクロの世界』(文部大臣賞)、『ヘリコバクター・ピロリ』(文部科学大臣賞)、『BLOOD』(赤十字国際映画祭銀賞)、『鳥獣戯画』(ベルガモ映画祭グランプリ)他。著作に絵本『ぼくがねているあいだに』他。